人はポジティブな情報よりも、悪いネガティブな情報に関心を持つようにできています。
凶悪事件や政治問題、天災の話題などは、メディアでも大きく取り上げられます。新聞各紙を見ても、ハッピーになる話題よりもネガティブな内容の記事の方がずっと多いように思います。
ネガティブな情報に関心がいく理由として、人間の生存本能が挙げられます。
危険な情報をあらかじめ知っておくことで、自らの生存率を高め、危険に近づかないようにするためです。「あの生き物は毒を持っている」「あの地域には天敵が多い」といった動物的本能による学習が、人間に進化した今でも脳に機能として残っているのでしょう。
もちろんこうした機能は大切なものではありますが、現代のような超情報化社会では、日常的にネガティブな情報が拡散され、倍増されて目や耳に入ってきます。最近は駅や電車の中にも液晶モニターが数多く設置され、半ば強制的に情報が入り込んできます。
「ネガティブな情報が自らの意図に関係なく大量に入ってくる。」
私はこのことを現代社会の脅威の一つだと危惧しています。
気功の基本原理でもありますが、人は必ず自分に影響を及ぼすものと「同調」するようにできています。それが長期に渡り同じ内容に晒されると「同調」作用が無意識下に降りていって「洗脳」状態となります。こうなると情報を冷静に分析し、判断するといった思考が停止し、その情報を盲目的に信じて疑わなくなります。
コロナウイルスによる世界の現状は、まさにこの状態にあると思っています。特に毎日この話題を取り扱っている政府関係者や医療団体、各種メディアはヒステリーなまでになっていて、終わることのないマイナス思考のスパイラルに陥っています。
ものごとの本質は常に陰陽関係で構成されています。
情報を「保存」しつつ、定期的に「消去」しなくてはなりません。
「消去」のための古の叡智が「洗心」です。
「洗心」は読んで字の如く「心を洗う」こと。よく神社仏閣の手水鉢に彫ってありますね。
この言葉の意味を多くの人は「心を浄め、邪なことを考えず、正しい行いをする」といった意味として読むことでしょう。
しかし本来は、赤子のように「無垢なもの」になるということです。
「無垢なもの」とは外部の情報による「同調作用」を取り去った状態です。仏教的に言えば「煩悩」を取り去った状態ですね。
これにより自然法則に沿った、本来のニュートラルな状態に戻ることができます。
一方方向な情報の垂れ流しが加速する現在の状況にこそ、「洗心」によって情報を意図的に「捨てる」必要があると考えます。これにより状況を冷静に判断することができるのです。
コロナウイルスはもちろん気をつけるべき対象ですが、それ以上に私が危険だと思うのは、もはやどこにも制御する機能がない「情報の暴走」です。この脅威から自らを守るためには「洗心」という「心の護身術」を持つことがとても大切だと考えるのです。
「洗心」のための気功術をご紹介したいところですが、長くなったので今回はここまで。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。
定期的に「洗心」を心がけ、新鮮な心の状態を保ちましょう。グッドラック!
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