気功や武術を修行していると、どこか哲学的になるところがあります。
「生きるとはなにか」「存在とはなにか」「強さとはなにか」
そんな根源的な問いを、気功や武術の修行を通して感じる方は、決して少なくないと思います。達人と呼ばれる方々の晩年は例外なく、多くの哲学的な言葉を残されています。
そうした奥深い知性や思索を感じさせることも、気功や武術のもつ魅力の一つのような気がしています。
しかし一言に「哲学」といってもいわゆる西洋の学問体系としてのそれとは少々異なるように思います。デカルトやカント、ヘーゲルなどに代表される西洋哲学は、古代ギリシア哲学から連綿と続く根拠と理論の積み重ねから構築されており、それらにさらに補強を施したり、あるいは弱点を見つけ反論し、新たな理論を構築してきました。それは「知」の集積とも呼べる巨大な哲学体系です。
一方で気功や武術の修行は、一つのことを徹底的に行い、極限まで身体感覚を研ぎ澄まして「本質を見抜く」という行為です。そこには他と比較検証しロジックを組み立てて答えを出すというプロセスではなく、己の感覚を頼りにものごとの「本質」を直接感じ取るといった身体的活動です。こうしたアプローチの方法は、悟りに向かうための仏教の修行でも共通していますね。
ものごとの真理や本質を追求する活動を「哲学」と捉えた時、
西洋は「知性による思考」によって行うのに対し、
東洋は「身体による感覚」によって行うのが色濃い特徴のように見えます。
あたかも気の陰陽関係のようですね。
どちらも大切なアプローチ法ですが、現代においては西洋的な手法に偏っている気もしています。世界の様々な課題に行き詰まりを感じるのも、実生活の感覚を度外視し、理論のみで行なっていることが一つの大きな要因の気がします。また、特に教育の場においては身体感覚の欠如も叫ばれて久しいです。
現代を代表する哲学者の梅原猛さんは、
「これまでの近代西洋哲学では21世紀の今日には使えない。原理が変わらなくちゃならない時期に来ている。新しい哲学がいるんです。」
と言っています。
梅原猛さんの言う「新しい哲学」というものがあるのか、あるいは出来るのか、それはわかりません。しかし私は「知性の哲学」と「身体の哲学」がバランスよく調和し、お互いが補完し合う関係になった時こそ、「一つの真理」が見えてくるのではないかと思っています。
そうした意味でも「気功」や「武術」を通して真理や本質を「身体で感じる」ことは、とても大きな意味があると思っています。
最後に、今回お言葉をお借りした知の巨人・梅原猛さんの本を一冊ご紹介します。
「少年の夢」という、かつて梅原さんが高校生を対象に講演したときの講演録です。若い人にぜひ伝えたいという梅原さんの情熱で溢れたテキストです。先行きを不安に思う時代にこそ、うってつけの書です。ぜひご一読ください。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
節分の過ぎ、春一番も吹き、春が近づいてきましたね。新たな季節を楽しみましょう。
グッドラック!
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