「気」は本当にあるのか?
気功や合気を語る上で、このことは多くの方が疑問を持っていると思います。
その答えは「あると思うと存在し、ないと思うと存在しない」となります。
回りくどい言い方に聞こえるかもしれませんが、実は「気」の正体は「意識」が作り出した産物なのです。
例えば皆さんは、普段何気なく「呼吸」をしています。
しかし「呼吸している」と言われるまでは、無意識なので呼吸をしているという実感はありません。逆に「呼吸」と言われると急に意識し始め「呼吸をする」という行為が生まれます。
身の回りには様々なものがあるように思えますが、実は自分が意識しているものしか「存在」していません。「花」に興味がなければ、目の前に綺麗な花が咲いていても気づかず、「自動車」に興味がなければ、隣に高級スポーツカーが走っていても気付きません。
実は「存在しているもの」とは自分が「意識」した対象物なのです。
逆の言い方をすれば「意識」することによって意識の対象物が「存在」するのです。
このことを仏教哲学では「空(くう)」と言います。
物理学の言い方で言えば「量子」のような捉え方です。
「気」とはまさに意識が生み出す産物です。
よって「気」は存在するのかという問いに対しては、自分が「気」を意識すれば存在し、意識しなければ存在しないということになります。
そう考えると「気功」の練習はいかに「気」を意識するか、ということが重要になります。より強く、より鮮明に、よりリアリティを持って「気」を意識することで、その感覚は意識から「実感」に高まり、より高度になると具体的な「ビジョン」や「温度」に変わってきます。
こういったことは専門性の高い分野では同様のことが言えます。音楽家であればほんの僅かな音の違いやズレを気付いたり、芸術家であれば素人にはわからない色彩感覚の違いを持っていたり、熟練の職人であれば数百分の1mmの違いに気付いたりします。こうしたことは日常的に対象物への意識を極めていくからこそ到達できる感覚です。
このように意識を高めていくと、通常では見れなかったり、感じられないものが分かるようになってきます。このことを中国武術では「意が気を作り、気が勁を作り、勁が力を生み出す」と言います。
よって合気之術や中国武術などは、身体の鍛錬以上に意識の力(意念)を重要視されます。近年ではスポーツ分野でもイメージトレーニングやマインドセットの有効性を盛んに言われているのも同じ理由だと思います。
(続く)
余談ですが、テレワーク時代でPCやスマートフォンを見る時間が飛躍的に増えています。私も最近疲れ目なので、ブルーライトカット効果の高いフィルターを購入しました。
目は「気」を多く取り込む部位ですので、皆さまも大切にしてくださいね。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
良い秋晴れの日はなるべく外に出て良い「気」をもらいましょう。グッドラック!
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