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#29 護身術について

最終更新: 2020年12月30日

日本武道の優れた活用の一つとして「護身術」をイメージする方は多いと思います。非力な女性や、高齢になっても使うことができ、大きな相手を制することができれば、それは一つの理想的な護身技術ですね。


しかし「護身」ということを深く考えていくと、そう単純なものではないということがわかってきます。その大前提として、現代社会のほとんどの国は「法治国家」であるということです。

よく、いざというときにこういう技を使う、こうやって反撃する、と言った護身技が紹介されます。しかし実際に相手を攻撃し、そしてなんらかの怪我を負わせたとしたら、それは法治国家においては「暴行罪」となり「傷害罪」となってしまいます。

もちろん先に相手が手を出してきたから正当防衛だ、という風に考えるかもしれません。しかし問題はその正当防衛を司法の場において「立証」できるか、というところに大きな課題があります。

明らかに相手が大人数で、武器を持っていて、不当な理由で攻撃され、それが街の防犯カメラに記録されていた、というような状況であれば「正当防衛」も十分に成り立つでしょう。

しかし、単身の酔っ払いが絡んできて、それを武道経験者が専門的な技術を使って相手を怪我させてしまった場合、瞬間の危機は乗り越えられても、その後の法律的、社会的な責任は追求される可能性があります。「過剰防衛」となり刑事責任を負うことにもなりかねません。

実際、武道経験者や格闘技のプロ選手が、街で喧嘩沙汰になったときに相手を大怪我させてしまって、多額の慰謝料や賠償を請求をされてしまうという事例は決して少なくありません。何より相手に一生残るような致命的な怪我をさせてしまった場合の自己の良心への呵責は、一瞬で自分の人生を台無しにしてしまうことにもなります。家族や仕事にも甚大な影響を及ぼすでしょう。


私の見解は、武術はそう単純に護身術として活用できると思ってはいけない、という立場です。前触れもなく突然やってくる危険に対し、あくまで護身として見られる技を、実践で効果的に使う、ということは達人レベルの高等技術です。それは一部の天才的な武術家の世界であり、生半可な修行段階の者が武術を安易に護身に使えると思うべきではないと思っています。

また「護身」とは対暴力における意味だけではありません。差別や偏見、詐欺やハラスメント、人間関係や社会的圧力など、心理的・社会的にも自らを守る必要があります。

もし実践的な「護身術」を身につけるならば、武術を学ぶよりも法律を学んで弁護士になったほうがいいとも思っています。


では本当に武術は護身において役に立たないのでしょうか。

実はそれも否なのです。むしろ心構えの護身、すなわち「心技」においては絶大な効果を発揮します。

そもそも「護身」の最大の目的は「危険を回避すること」です。そのためには常に日頃から周りに気を配り、自分の身体の状態が安定していて、なおかつ心が冷静でいなければなりません。この「気配り・安定・冷静」こそ事前に危険をキャッチし、安全な選択肢を掴むことができるのです。

この「気配り・安定・冷静」は武術技よりもはるかに大切なことであり、真の護身技はこの3つを指すと言っても過言ではありません。そしてこの「気配り・安定・冷静」を養う非常に適したカリキュラムが伝統武術の鍛錬法に内在しているのです。


「護身」は考えると非常に深く、そして難しいものですが、同時に日常生活を安全に快適に過ごすための必須事項でもあります。そんな「護身」に対しておすすめの本をご紹介します。

元フランス外人部隊の傭兵として実戦を経験し、現在対テロリストや特殊部隊のインストラクターを務めている毛利元貞氏の著作です。これを読むと護身は「心技」が9割ということが理解できます。見せ技ではない真の護身技を学びたい方は是非お読みください。



本日も最後まで読んでいただいて有難うございました。

2020年も残りわずかですが、良い年末にしましょう!グッドラック!

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