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ー合気と気功と智慧の学舎ー

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#31 「合気と気功」を教育に活かす

更新日:2021年1月17日

新年おめでとうございます。

本年も皆様にとって幸多い一年になることを祈念しております。


新年ということで「歓喜地STUDIO」のテーマについて書いてみたいと思います。そして今回は、サブタイトルにもなっている「合気と気功と教育」について、「教育」の観点からお話しします。


昨年まで学校の教員をしていたこともあり、正直に言って、今の教育には物申したいことが多くあります。その中でまずお伝えしたいこと、それは、今の教育が失ってしまった、人が生きる上で極めて大切な要素が「合気」と「気功」の中にある、ということです。


お伝えしている通り、「合気」と「気功」の真髄は「一つ」になることです。


大東流合気柔術における「合気」の奥義は相手と「一体化」すること。

これにより、自分と敵という相対関係が消え、「戦い」そのものが消えてしまいます。これが大東流合気柔術の真の戦闘理論です。

実際の現象としては、そこから相手の力を抜いて、投げたり技をかけたりしていますが、実は「合気」した時点で敵対関係が消えているため、そこから先は蛇足とも言えます。そう考えると、「合気之術」の優劣は武術の技云々ではなく、「相手との一体化」の程度によって判断するべきだと考えています。

大東流の稀代の名人「佐川幸義」宗範の技は極めて柔らかく、そして投げられているのになぜか気持ちよく、元気が出て力が漲る、と高弟の方々が口を揃えて言われていました。

これは、佐川宗範の持つ巨大な気と「合気」して一体化していたために、その気が弟子にも流れ込んだためです。実際に私も師の吉丸慶雪をはじめ、佐川宗範の高弟の方々に幾度も技をかけてもらい、同様の体験をしています。


「気功」においては、「合気」の状態を広げ、環境や世界、さらに言えば宇宙と「一体化」することで、森羅万象の摂理を「理会」し、自然の営みと調和した生き方をすることを意味します。

「気功」によって自然と一体化すると、まるで体と意識の両方が自分の外に溶け込んだような、不思議な安らぎや高揚感を覚えます。

これは、海の浜辺で横になって満点の星空を眺めている時や、山の頂上で広大な雲海を眺めている時のように、まるで大きなものに包まれ、宇宙と一体となっているような感覚に近いかもしれません。

ちなみに、仏教哲学では、こういう状態を「禅に入る(禅定)」とも言います。


「一つ」となって、「調和」して生きる。

このことは、現代の全ての分野・領域において必要とされている生き方ではないでしょうか。

地球の資源の有限性は周知の事実であるにも関わらず、その奪い合い、競い合いのために、貴重な時間と労力が消費されています。「グローバル化」というキャッチフレーズは、結局のところ言語と通貨を統一することで大国に有利な基準を作り、利益をもたらすためだけの同調圧力と同義です。

物事を相対化して、競い合い、進歩発展し続ける。そうした営みももちろん大切です。

しかし、それではどこまでも争いが生まれ、戦いの螺旋からは抜け出せないでしょう。このような一方向的な形では、どこかで行き詰まりを迎えるのではないでしょうか。

真の意味でサステナブル(持続可能)な社会を実現させるためは、どうしても「自然の摂理」を「理会」する必要があります。

なぜなら、社会の仕組みとして永続するシステムは「自然の法則」以外にあり得ないからです。

資本主義や社会主義をはじめとする社会制度はどこまでいっても人工物です。人工物はいつか必ず壊れます。それは電気社会も車社会もコンピュータ社会も同じことです。


元来、科学も哲学も芸術も、多くの学問領域は「自然の摂理」を解き明かし、その法則に合わせて生きる「道」を探究するものでした。

しかし皮肉なことにそれらが進歩すればするほど、人間の生活は「自然の摂理」から離れていくように思えてなりません。そんな現代であるからこそ、今一度「自然の摂理」を学び直し、社会と個々人の生活を再構築していく必要があると考えています。

そして「自然の摂理」を深く「理会」するカリキュラムとして、「気功」や「合気」の実践は極めて優れた教材になり得るのです。

ここでいう「理会」とは、知識として「理解」するのではなく、体験として体に染み込ませる(=理会)ことを指します。


そんな思いを持ちながら、「合気」や「気功」という古の叡智を、現代版にアップデートし、教育をはじめ、これからの生活や社会に役立てて行きたいと考えております。


最後に私の大師匠にあたる大東流合気柔術「佐川幸義」宗範の「合気」に関する覚書の一部を紹介します。

 合気とは気を合わせることである。

 宇宙森羅万象の総ては融和調和によって、円満に滞りなく動じていて、

 その融和が合気である。合気は極く自然に少しの蟠りもなく、抗いもなく、

 合一融和するのである。暴力をふるわんと出る者に対しては、我よりも出て融和し、

 また敵の既発に対しては、同じく合気の理により敵の動きに従い、

 転化変転して融和するのである。

 人類社会構成においても合気即ち融和調和が基盤でなければならない。

 これを合気の大円和という。


大東流合気柔術の実戦の達人として名を馳せる「佐川幸義」宗範ですが、「合気」はただの武術の技法に収まらない無限の可能性があることを世に知らしめたことこそが、稀代の名人の功績だと私は考えます。


佐川宗範の動画は残念ながら残されておりませんが、下記書籍の写真や語録から「合気之術」の名人技の一端を垣間見ることができますので、興味のある方は是非参考にしてください。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今年も無理なく調和し「一つ」となって、良い一年にしましょう。グッドラック!


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